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【アルバート・ベネット】ノーリッジの“エルム・タヴァン”に立った元ストライカー

アルバート・ベネットは1944年7月、イングランド・ロザラムに生まれました。フォワードとして1961年にロザラム・ユナイテッドでキャリアをスタートさせると、121試合で83ゴールを記録。その決定力が評価され、1965年にニューカッスル・ユナイテッドへ移籍します。ニューカッスルでは90試合に出場し23ゴール。1969年にはノーリッジ・シティに加入し、60試合で16ゴールを挙げました。

また1964年にはイングランドU-23代表に選ばれ、国際舞台での経験も積んでいます。1971年、負傷により現役を引退しましたが、その後はBury Townで選手兼監督を務め、地域クラブに貢献しました。

引退後、ベネットはノーリッジ市内のパブ「エルム・タヴァン」を経営しました。サポーターの間では「試合前に寄ると、アルバートがカウンターに立っていた」という証言が残されています。実際にフォーラム投稿でも「ノーリッジ遠征の際に立ち寄ったら、アルバート本人がビールを注いでくれた」というエピソードが語られています。

プレーで人々を熱狂させた選手が、引退後には地元パブでファンを迎える。そこには華やかさはなくとも、確かな温かさがありました。ベネットにとってパブは“第二のホーム”であり、地域に根ざす生き方の象徴だったのです。

ベネットは典型的なセンターフォワードで、ゴール前での決定力とパワフルなプレーで知られていました。ニューカッスル時代にはフィジカルを生かしたプレーで人気を博し、ノーリッジでもエースとして存在感を発揮しました。

一方、性格は非常に温厚で人懐っこく、パブ経営にもその気さくさが活きました。ファンと肩を並べて酒を酌み交わすその姿は、サッカーが地域コミュニティの中心にあることを体現していました。

アルバート・ベネットは、プロ選手として数々のゴールを決めた後、パブの経営者として“地元に寄り添う顔”へと変わりました。ピッチから離れてもファンとのつながりを持ち続けたその姿は、イングランド・フットボールの「選手と地域が一体となる文化」を象徴しています。

スタジアムではゴールを、パブでは笑顔を――。
アルバート・ベネットはその両方を残した、もう一つのヒーローでした。