パブでの逸話:引退後に経営者として
1970年代のイングランド・フットボールにおいて、得点王の名をほしいままにした男がいました。その名はデレク・ヘイルズ(Derek Hales)。チャールトン・アスレティックの伝説的ストライカーであり、“サットンの暗殺者(The Killer from Sutton)”という異名で知られています。
その破壊的なゴール嗅覚でスタジアムを熱狂させた彼ですが、引退後には意外な姿を見せました。ヘイルズは地元ケント州の村にあるパブを経営し、地域の人々と日常を共にする場を守る存在となったのです。ピッチで相手を沈めた豪快なフォワードが、パブのカウンター越しにビールを注ぎ、ファンと談笑する――その姿は多くの人々に親しみを持たせ、クラブの枠を超えた“地元のヒーロー”としての地位を確立しました。
パブの空間は、彼にとって第二のフィールド。選手時代のような爆発的な瞬発力はもうありませんが、そこには人を引き寄せる魅力と、サッカー談義に花を咲かせる温かさが溢れていました。
デレク・ヘイルズのキャリアプロフィール
デレク・ヘイルズは1951年12月15日、ケント州サットンに生まれました。地元クラブから頭角を現し、1973年にチャールトン・アスレティックへ加入。ここで一気に才能が開花します。
彼はチャールトン史上最多となる168ゴールを記録し、今もクラブの伝説的ストライカーとして名を残しています。特に1975-76シーズンには32ゴールを挙げ、圧倒的な決定力でチームをけん引しました。プレースタイルは典型的なフィニッシャー型。ペナルティエリア内でのポジショニングに優れ、ワンタッチでゴールを仕留める力は当時のイングランドでも随一でした。
その後、ダービー・カウンティやウェストハム・ユナイテッドなどでもプレーし、イングランドの複数クラブで活躍。特にダービーではFAカップの舞台でも存在感を示しました。キャリア晩年は再びチャールトンに戻り、クラブの象徴的存在としてファンの心を掴み続けました。
プレースタイルと人物像
ヘイルズはとにかく「点を取るために生まれた男」と評されました。スピードは突出していませんでしたが、ゴール前での冷静なフィニッシュ、こぼれ球への嗅覚は群を抜いていました。ペナルティエリア内で相手DFが一瞬でも気を抜けば、必ずゴールネットを揺らす――そんな圧倒的な決定力で、“サットンの暗殺者”と呼ばれるに至ったのです。
一方、気性の荒さや闘争心の強さでも知られ、試合中に味方選手と乱闘騒ぎを起こすなど物議を醸したこともありました。しかし、それも含めてファンに愛される理由でした。彼は常に全力で戦い、勝利のために感情をむき出しにする選手だったのです。
引退後は一転してパブ経営者として穏やかな日々を送り、地域コミュニティの一員として親しまれました。サッカーで名を馳せた男が、地元で“普通の生活”に溶け込む姿は、イングランドのフットボール文化の素朴な魅力を示しています。
まとめ:点取り屋から地域の顔へ
デレク・ヘイルズは、ピッチ上では“暗殺者”の異名を持つ点取り屋でしたが、引退後は地元パブを通じて地域の人々に寄り添う存在となりました。その二面性こそ、彼を特別な存在にしています。
クラブ史上最多得点者という偉業を成し遂げながらも、引退後に地域社会に根差し、ファンと直接交流を続けた姿は、サッカーが単なるスポーツではなく文化であることを物語っています。
ヘイルズの人生は、ゴールとパブ、歓声と乾杯――その両方に彩られた物語でした。彼の残した伝説は、今もチャールトンの歴史と共に、地元のパブ文化に息づいています。