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ノッティンガム・フォレストのワンクラブマン ― ボブ・マッキンレイ

ノッティンガム・フォレストにおいて、その象徴がクラブ最多出場記録を持つ守備の要、ボブ・マッキンレイ選手です。

1940年10月10日、スコットランド・メアヒル(グラスゴー近郊)に生まれたマッキンレイ選手は、少年時代から屈強な体格と闘志を武器にサッカーを始めました。16歳でフォレストのスカウトに見出され、イングランドへ渡り、1959年、まだ19歳のときにトップチームデビューを果たし、以降20年にわたりクラブに忠誠を捧げ続けました。

マッキンレイ選手はセンターハーフ(現在のセンターバック/守備的MF)としてプレーしました。

  • 恐れを知らないタックル
  • 空中戦の強さ
  • 激しい球際での勝負をいとわない闘志

その姿勢は「血と汗の男」と称され、スタンドの労働者階級のファンから絶大な支持を受けました。派手な技術や華麗なパスではなく、ひたすらに体を張り続けるプレーこそが、彼の最大の武器だったのです。

  • 1967年 FAカップ準決勝進出
     マッキンレイ選手は堅守でチームを牽引しました。惜しくも決勝進出は逃しましたが、クラブの当時の快進撃を支えました。
  • 1970年代前半のキャプテンシー
     フォレストが低迷する時期、彼はキャプテンとして若手を支え続けました。監督交代やチームの不安定な状況でも、一貫してクラブの精神的支柱であり続けたことは象徴的です。

  • ノッティンガム・フォレスト通算:614試合出場 9得点(1959–1976)
  • クラブ最多出場記録保持者
  • スコットランド代表:1試合出場

守備的ポジションにありながら、17年間にわたり600試合以上に出場した数字は驚異的であり、彼がクラブからどれだけ信頼されていたかを如実に物語っています。

  • 「流血しても立ち上がる男」と呼ばれるほど、怪我を恐れずに戦い続けました。
  • 1970年代初頭、降格争いの中でも毎試合のようにピッチに立ち続け、サポーターから「最後まで戦う男」と讃えられました。
  • ブライアン・クラフ監督がフォレストに就任した1975年、ベテランとなったマッキンレイ選手は主力から外れつつありましたが、若手への模範として存在感を放ちました。

街とのつながり

ノッティンガムの街にとって、マッキンレイ選手は「クラブの魂」でした。グラスゴー出身でありながら20年をフォレストに捧げ、街の人々から完全に受け入れられました。
市民は「彼は生まれこそスコットランドだが、心はノッティンガムの男だ」と語り、マッキンレイ選手自身も「自分の居場所はここだ」と言い続けました。

引退後の歩み

1976年に現役を引退しました。その後はクラブのスカウトやアカデミー育成に関わり、若い選手たちを指導しました。ブライアン・クラフ監督率いる黄金期のフォレストに直接貢献することはありませんでしたが、基盤を支えた世代としてクラブ史に名を刻みました。
晩年もノッティンガムに暮らし、クラブのOB行事などでファンと交流を続けました。

引退時の言葉

マッキンレイ選手は引退に際して次のように語っています。
「私は幸せ者だ。600試合以上をフォレストの赤いシャツで戦えた。ファンが私を支えてくれたから、最後まで走り続けられた。」

まとめ

ボブ・マッキンレイ選手は、華やかなタイトルこそ少なかったものの、その存在はノッティンガム・フォレストの精神そのものでした。

・614試合という出場記録

・怪我を恐れず体を張り続けた闘志

・引退後もクラブに尽くした忠誠心

クラブの歴史を彩るスター選手やタイトル以上に、彼のような「戦い続けたワンクラブマン」の姿は、ファンの心に深く刻まれています。
「ノッティンガムの鉄人」――それがボブ・マッキンレイ選手です。